ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

自意識は強いが、自我は弱い

最近気づいたこと。

自分は自意識は強いが、
自我は弱い。

自意識は人からどう見られるか
気にする意識。
自我は自分がどうあるかを
気にする意識。
と自分的に定義できる。

自分は昔から
人にどう見られるか、
どのように見られたらいい感じで
対人関係や社会の中で収まれるのか
という基準で自分の振る舞いを
無意識に決めてきたように思う。
ありのままの自分でうまくやっていけるとは
全く思っていなかったからだと思う。
それぐらい世の中や他者を警戒しながら
生きてきた。

だから自分がどうあるかより、
どういう自分であればその場をうまく
やり過ごせるかを優先してきた。

だから対人関係や環境によって
自分をコロコロ変えてきた。
相手によって自分の印象は大きく
違うはずだ。
集団の中では悪目立ちを避けたい気持ちが
あり大人しくしていた。
その一方で面白い奴だとは思われたいので、
安全安心がある程度保証されているように
感じられる場でははっちゃけたりも
していた。

だから、面白い人だとか、
いい奴だとか優しい、
などという印象を多く
持たれてきた。
話しやすいのか、一方的に長々と
話しかけられることもある。
ただ、誰に対してもそれなりにいい顔で
接するので、
その優しさにつけ込まれる、
舐められる、マウントを取られやすい
という面もある。
これに歯がゆい思いを多々してきたが、
言い返すのも苦手なので、
泣き寝入りするはめになる。

こういう自分の特性上、
自我は必然的に弱くなる。
基本がリアクションとしての自分しかないので、
何もないところで、
何かへの反応としてではない自分、
世の中や他者の見た自分ではない
自分が自分としてどうありたいか、
あるべきか、
などという問いや考えは立ち上がってこなかった。

自我とは自己同一性、
つまり、どのような状態においても
一貫した自己、
ということになるが、
自分にはそんなものはない。
あるのかもしれないが、
それが何かなど考えたことがない。

そういうわけで自分は
自意識は強いが
自我が弱い、
ということなのである。

問題はこの自我の弱さに
自分が気づいていて、
それを長年後ろめたく思っていた
ということだ。
なんとか強い自我、
首尾一貫した自分を作り上げよう、
信念を持とう。
そう思っていた。

でもいくら信念を掲げたところで、
それが自分のものにならない。
すぐに忘れる始末だ。
どうやら信念とはそういうものでは
なさそうだ。

自我が弱い、
自意識が強いのが自分。
それを矯正するのがよいことで
それが人間としての成長だと
思っていたが、
いっこうに改善されない。

ブログを書くようになって、
自分の自我や自意識が
こういうものだということが
はじめて言語化できた。
つまり自分自身で知ることができた。

改善とかじゃなくて、
そういう自分でいくしか
ないだろう。
と、自然なあきらめができた。

結局のところ、
ここでもまた、
わかっちゃいるけどやめられない
なのだ。

わかっただけでだいぶ
前進だ。
どうにもならないことまで含めて
わかるとかなり楽になった。

人前で、
はじめてこのことが
コンプレックスであることを
話せるまでになった。

自分を知るというのは
なかなかにおもしろい。
見たくないものもあるけれど、
その捉え方が自分の中で
変わっていく様が気持ちいい。
エンタメでさえある。

やり方を間違えて病んだりしても
困るので、
ほどほどに知っていこうと思う。