ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

どうしようもなさを生き延びる2

わからないことは
わかりたい。
そう思うのが人情だ。

わからないと不安だし、なんだか怖い。
どうなるかわからない、
見通しが立たない、
想定できない。
これらに人間は耐えられない。
そこで人間は理性を発達させ、
あらゆるものを理解し、
コントロールできるようになった。
なんでもわかる、なんでもできる。
これは安心だ。
合理主義に科学信仰、
これらはその安心を担保してくれる。

でも実は、
一方で理性は万能ではない。
宇宙を作ることも、死を止めることも、
人間にはできない。
「いや、できるはずだ」と信じて邁進するエネルギーが文明や科学を発展させてきたことは事実だ。
ただ限界はある。

わからないものをわかろうとする。
この知的エンジンが人間の土台を築いたが、
この土台にだけすべて乗っかろうとして、
その無理が表面化しているのが
現代であり、自分だ。

わからないものをわかった。
でも、わかっちゃいるけど やめられない。
結局のところ、
わかっちゃいてもやめられないのだ。
まずはこれを認識するところから
始めるしかない。

理性で認識できることと、
不合理で制御できない人間やこの世界という
どうにもならないもの。
これらは別のものなのだ。

言葉や思考は理屈だ。
つまり理性だ。
これらでわかることはあくまで理性だ。
一方で心は不合理でどうしようもないもの。
考えるものではなく、感じたり、
思ったりするものだ。
理性でこれをコントロールすることは
できない。

それはわかった。
個人レベルの話なら、
自分のどうしようもなさを認識して
その実害を減らす環境整備をすればいい。
そうすれば多少は楽になる。

ただこのどうしようもなさが、
社会や人間関係において、
大いに問題になっているというのが
けっこうな大問題なのだ。

現代人のほとんどが、
家庭、学校、会社またはその他諸々の
なんらかの集団や組織に所属している。
この集団や組織は人が集まって構成されて
いる。
人は多様だ。
色んな属性や性質をもっている。
そんな多種多様な人間が集まる場で、
それなりにみんながいい感じでいられるためには
それなりのルールや法が必要に
なってくる。
だから集団や組織の中では
そこで設けられたルールや法の枠内で
やりましょうということになる。
それはその集団や組織を円滑に維持する
ために必要なものだ。
個人にある程度制約を強いたとしても、
その集団全体、みんなの利益を優先して
守ろうよという姿勢だ。


ただここで、
大切にすべきは集団や組織の秩序であり、
個人そのものはその大切にすべきリストの下位に置かれている。
これが集団・組織の論理だ。


そもそも個人が集まってできた
集団や組織なのに、
いざ集団・組織が動き始めると、
その集団や組織にとって最も大切なこと、
優先順位第一位は、
集団・組織の秩序を保ち、
集団・組織を長生きさせる、
というものになる。
秩序を乱す個人はその集団・組織の中では、
迷惑分子ということになる。
これが集団・組織の矛盾であり、
有害なところだと思う。


だから集団・組織の中では、
空気を読んで、ルールや秩序を守ることが
処世手段となる。
村社会であり島国である日本は
とくにその傾向が強い。
滅私奉公はいまだ現役バリバリの
日本的組織の特徴として生きながらえている。


にも関わらず、
人権とか、個性とか、
LGBTの権利とか、
西洋の価値観を表面上取り入れ、
その価値観を内面化している人、
そうでない人などが渾然一体となっていて、
本当のところ共通前提も常識も
何も共有していない、
というのが現代の日本、
ひいては僕や僕たち私たち、
という状態なのだと思う。


わたし、みんな、
この概念をどう扱えばよいのか、
個人レベルで、
公のレベルで、
それがまだフワフワしている。
そこに前述の頭と心、
合理性と不合理性の問題もそのような 
問題意識なしにごった煮状態で
ぶち込まれており、
自己責任とかいう雑な着地で
茶を濁しているのである。


そりゃ、めんどくさいはずだ。


当然、
これらは社会・ひいては人間そのものの
どうにもならなさであり、
完全解決は望むべくもない。


バランス、
距離感、
敬意と節度、
試行錯誤しながら、
挫折し、絶望し、
なんとかうまい落とし所はないものかと
探りながら、
なんとかマシなところを見つけるしか
ない。


一旦、自分から離れて
人間やこの世界のどうしようもなさを
他人事として見つめることが出来るのが、
物語の効能だ。


僕はこれまた昔のフィクションである、
しかも子ども向けと現代の大人から
侮られている昔話にその突破口を見る。


侮っていればいるほど、
その中に自分と共通する何かや、
この世界を生き延びるヒントのような
ものを発見したときの驚きと喜びは
ひとしおだ。
自分がかつて「くらげ骨なし」の猿に共感して
ハラハラドキドキワクワクした
あの新鮮な喜びのインパクトは
すごかった。


店でバラバラ、
全く関連性がないと思っていたものが、
急激につながり始めている。
このバラバラな星をつないで、
自分なりの訳の分からない星座みたいな
ものを作るのが、
おそらくは今後の自分の仕事なのだろう。


「わかっちゃいるけど やめられない」を
自分の人生のテーマとして、
わからないことをわかろうとすること、
またわかろうとすることをやめられない
人間のどうしようもなさ、
わかったところでやめられない
人間のどうしようもなさ、
人間のどうしようもなさを認識すること、
認識したところでコントロールできないという
どうしようもなさ、
どうしようもなさとの付き合い方・折り合いの付け方、
このあたりを生涯かけて、
考え続けていきたい。


そうすることで、
多少は自分にも人にも、
何かしらマシな振る舞いができるのでは
ないだろうかと淡い期待を抱いて。