ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

小松和彦の妖怪研究

民俗学者小松和彦による
妖怪本にハマっている。

最近よく、猪名川町の図書館に
息子のちゃまちゃまの絵本を借りに行くのだが、
そこに猪名川町在住の高名な作家であるという
小松和彦コーナーがあり、
見ると妖怪の類の本ばかりで、
最初は素通りして昔話のコーナーに向かっていたのだけれど、
つい先日、なんだか気になって
ライトな装丁の読みやすそうな本を借りてみた。

読むとこれが面白くて、
今は小松和彦の妖怪本を貪るように
読んでいる。

何がそんなに自分に響いたのかというと、
まず、鬼・天狗・山姥といった
自分が興味のある昔話で馴染みのある
キャラクターたちが妖怪にカテゴリーされていた
ことで、一気に関心を引かれた。
そしてこの小松和彦が、
妖怪という定義を広く取るという研究態度で、
水木しげるや、
(のちに調べて知ったのだが)妖怪ウォッチなど
に至るまで、妖怪として論じるという
守備範囲の広さ、柔軟さに、
なんだか信頼できると直感した。

少なくとも自分の知るところでは、
昔話研究者の中に、
まんが日本昔ばなし
桃太郎電鉄auのコマーシャルまで含めて
日本昔話であると捉えている人は
いなかった。
そういう部分でも、
なんだか親近感やシンパシーを勝手に
抱いてしまうところがあった。

もちろん昔話は口承文芸であるという
前提があるので、
桃鉄を昔話であるとすることには
無理があるのかもしれないけれど、
でも今現在、昔話がどのような親しまれ方、
享受のされ方をしているのか、
という視点なしに、
たんに失われゆく昔の文化としての昔話、
という立ち位置のみだと、
今を生きる人間にとって、
あまりに関係のないものになってしまう。
というか、自分にとって全く関係のないものに
なってしまう。

囲炉裏端で、おじいさんやおばあさんの
膝の上で昔話を聞かされたという経験は
自分にはない。
大人になって、柳田國男の本を読んで
昔話をはじめて魅力的だと感じた口だ。
桃太郎や浦島太郎は絵本やアニメ、
またその他のパロディなどを通して
知ってはいる。
でもとくにそれが自分の核をなす何かだとは
思ったことはない。
あくまでも大人になってから昔話の本を
読んだときにとても新鮮に感じて惹きつけられたのだ。

そんな自分と昔話との接点を考えると、
昔話の研究本、
あるいは、まんが日本昔ばなしとか、昔話をパロディにしてきた諸作品による影響がすべてだ。
つまり広義の捉え方をしてくれないと、
どうにも昔話と自分が関係を結べないので、
昔話を広く捉えるしかないという思いが
あった。
しかしそういう昔話研究を自分は
知らない。

そんな矢先に見つけたのが、
この小松和彦先生の妖怪研究だったのである。

すでにここまでの時点でも、
自分にとってはかなり大きな出会いだった
のだが、
さらに小松の本を読み進めていくうちに
これは自分にとっての
ターニングポイントになるんじゃないかしら!
という気づきがあった。

これはまた次回。