ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

物語はわからない

物語によって、自分の知らないことを知りたい、
わかりたいという欲求がある一方で、
自分はずっと、
よくわからない物語にも
心惹かれてきた。


子どもの頃は、
世にも奇妙な物語が好きだったし、
星新一ショートショートも好きだったし、
シュールと言われる笑いも好きだった。
いずれもなんだか不思議でよくわからないけれど、
なぜだか無性におもしろくて
惹きつけられる。


そういうものがずっと好きだったし、
今でもそうだ。


理屈でなんでも説明できてしまうことは、
理解はできても、
どこか物足りない。


ミステリーで、
犯人やトリックがわかると、
途端につまらなくなるあの感じ。
この程度のことですべて説明できてしまう
ようなものだったのかという落胆。
謎が謎のままだったときは、
想像を絶するような真実を期待して
胸躍らせていたのに、
結局はこんなことでしかなかったのかと
がっかりする。


伏線回収、辻褄合わせの、
あの作為的なその程度感と予定調和。
そんなものが真実だったり
本質なのだとしたら、
マジでつまらない。


いや、
そんなものが真実や本質で
あるはずがない。
体のいい、手軽な着地点にすぎない。
世界は、真実は、
もっと複雑で、
得体が知れなくて、
よくわからないもので、
唯一絶対の真実なんて拒絶するような、
そんな巨大なカオスなのだ。


そうやって、
物語に突き放されたい自分がいる。


上記の物語たちは、
自分に不思議な世界観を突きつけ、
今いる自分の足場をぐらつかせるような
感覚を味あわせてくれた。


子どもながらに色々な方法で、
この世界がどういうものであるのかを
理解していっている自分に対して、
物語は、
「いやいや、世界はまだまだ
お前のわからないことがいっぱいあるよ。
全部わかった気になってるかもしれないけど、
全然ちがうから〜」
とでも言わんばかりに、
説明のつなかいお話をどんどん
こちらに差し向けてきた。


それは子どもの頃だけじゃない。
大人になっても時折そのような
物語と出会う。


村上春樹の短編集「女のいない男たち」。
一話目の「ドライブマイカー」を読んだ。


わからない。
そのわからなさによってできた傷と
どう折り合いをつけるのかという話だった。


物語の前に、
村上春樹が短い文章を書いていたが、
そこにもなぜ自分がこの本を書きたいと
思ったのかは、
実のところよくわからない、
と書かれてあった。


世界的な小説家で、
言葉を扱うプロフェッショナルでも
すべて説明できるわけではないんだなぁと、
いや、わからないということが
わかっていることが、
なんでもかんでもわかるわけではないということを心得ていることが、
生きる上でとても大事な、
足を沼に絡めとられてしまわないための、
何かなのかもしれない。