ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

スクラップ・アンド・ビルド

前のブログで、
物語は自分にとって、
外部との渡り廊下だと書いた。

自分という枠の中で日々を生きる
自分にとって、
一時的に自分を離れ、
外を知る、世界を知る、他者を知る機会、
狭い自分の中に外から風が吹くような
そんな効用が物語にはあるんじゃないか。
だからこそ自分は物語を
欲しているんじゃないか。

ただ現代は物語過多。
外部からの刺激に溢れ、
自己が希薄になってしまう時代。
だから今は物語を限定し、
自分の生活を味わうことが必要なんじゃないか。
物語の比重を減らし、
目の前の現実をもっと味わいながら生きる。

そんな方向性をもって
前回は話を終えた。
ただ後の方向性はあくまでも抽象的な
概念なので、
これを具体的にするとどうなるのか、
という可能性を探っていきたい。

前回は目の前の現実という
表現ではなくて、
自分の生活という書き方だったが、
それだけではちょっと自分過多で、
自分のいる環境や出来事、
関わる人も含めて、
現実というキーワードのほうが
しっくりくるなぁと思い変えた。

自分は物語をつくり、
人に伝えたい。
今は日本昔話という枠組みを借りて創作している。
一人で作り、YouTubeにアップする。
わずかながら、YouTubeを通して見てくれる人がいる。
というのが現状だ。

そこに、つくる自分も
それを見てくれる人も
現実のリアルな経験や体験として
それを味わえるものに
落とし込むにはどうしたらいいか。

それには、元々構想していた紙芝居だと
うまく当てはまる。
ライブというのは視聴を越えた、
フィジカルな体験になる。
ライブというのは演者にとっては
ダイレクトにフィジカルなものだし、
観る側にとっても、そこまで足を運んでいき、
実物を目の前で見るという、
画面越しよりはフィジカルな体験だ。
でもともすると、観る側は
演じられたものを一方的に見させられるという意味でいうと、画面越しに見るのとあまり変わらないという面もある。
実際自分は、ライブを見るよりやるほうが好きだ。
体験としては、見るよりやるほうが
圧倒的に充実感がある。

課題は、観る側のリアルでフィジカルな
体験をどこまで真に迫ったものまで
もっていけるかだ。
演者から観客のただ一方向の発信では
物足りない。

これは物語を伝えるためのライブという形式の
抜本的な見直し、
ならびに改革を急務とする。
というわけだ、堅く言うと。
くだけて言うと、
観る側がもっとぶっ飛べるような
なんなら見るとか演るとかの主従関係を
ぶち壊したようなライブのあり方
考えようぜ、
というわけである。

だいぶ外側は具体的に
なってきましたね。
いい感じ。
さぁ、なりたい状態はある程度目星がついたので、
あとは考えるより
やってみるだと思う。

やりながら具体的な形にしていく。
やってみての実感を踏まえて
ブラッシュアップ。
そこで何かガチっとハマるものが
必ず見つかるはずだ。

リアル紙芝居に向けて準備、
実行あるのみ。