ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

何もない

ある男がさまざまな場所を通って
たどり着いたところには
結局何もなかった。


というイメージをなんとなく
夢想していた。
こんなことを夢想する自分の
深層心理の分析はひとまず横において、
それをいざ具体的に映像化しようとすると、
とても難しいことに気づいた。


というのも、
それを実写映像化するとして、
何もないというイメージを
一体どのような場所で撮影すれば
よいのか。


森を抜けたらそこには原っぱしか
なかった。
というふうにしても、
そこには原っぱがある。
海岸に出たとしたら、そこには
砂浜や海がある。
空き地にしたって、空き地という
具体的な場所があるし、
暗闇にしても真っ暗闇というものがそこには
ある。
結局は何かがあってしまう。


それで思ったのは、
何もないというものは
そもそもないのではないかということだ。
何もないと思っても、
何かはある。
ただその何かが、
自分が希望するものでない場合に
何もないとみなしているということだ。


何かはあるのだ。
望まない何か。
地味な何か。
不都合な何か。
なんの変哲もない何か。


その何かを、
あるものと捉えるか、
ないと捉えるか。


あるとないでは大違いだ。


そういうわけで、
僕たちはあるものを
ないように思ったり、
あるように感じたりと、
全く真逆の捉え方ができるらしい。


その180度の範囲の中で、
自分はどの視座に立って
物事を見るのか。
どこに立てばよりいい感じ
になれるのか。


あるのかないのかには、
180度の自由がある。