ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

オミクロンと昔話

オミクロンという
かわいらしい名前とは裏腹に、
その感染力やワクチンの効果は
今もってよくわからないという
不気味な変異株がまた出てきた。

こうやって新型コロナは、
変異によってマイナーチェンジくり返しながら、
この地球上をこれから長きに渡って
生き延びていくのだろう。


ウイルスは
人間の免疫やワクチン・治療薬と
いった脅威を前に、
自分自身を状況に合わせて変えていく
というやり方で
この世界をなんとかサバイブしようとしている。
なんともたくましく、
人間から見れば憎らしい限りだが、
生命が流動的であるこの世界を
生き延びる生存戦略としては
必然的にとるべき策なのかもしれない。


話は突然飛躍して、
昔話の話題に移る。


昔話は昔々の大昔から
長きに渡って語り継がれてきた。
語り継ぐという文化が廃れた後も、
絵本やアニメ、パロディなどの中で
多少、もしくはかなり
姿を変えながらも今なお生きながらえ続けている。


昔話には原典がない。
特定の作者もいない。
絶対的な決まった形というものが存在しない。
人から人へ、世代をこえ、
時代をこえて語り継がれてきた。
昔話の専門家であるわけでもない話者が
自分が子どもの頃に聞いた昔話を数十年ぶりに
思い出して語る。
当然、多少ならずとも話の内容や文言に変化はあるはずだ。
忘れているところや思い違いも当然あるし、
自分なりの創意工夫を凝らして自覚的に話を改変する者もあっただろう。


これが、
原作があり、誰それが作ったということが
特定されていたとしたら、
このような改変は行なわれずに
済んだのかもしれない。
忘れていたら原作を見ればいいのだし、
作者の手前、安易に改変もしづらい。


ただ、昔話はそのようなことが
なかったために、
昔話は今もauのコマーシャルや
ゲームやゆるキャラのモデルになったりする。
漫才やコントの題材にもなりえる。 
志村けんのコントで鶴の恩返しのパロディを
見たことのある人は多いだろう。
誰のものでもないので使い放題、
いじっても誰からも怒られない。


昔の人が見たら、
よくもここまでというぐらいの
変わりようかもしれないが、
それでも桃太郎や浦島太郎など
数少ない話やキャラクターは
あらゆるパロディや改変をし尽くされながら、
今もなお存在している。


逆にパロディにならなかったり、
遊びしろの少ないものは
淘汰されていっているのではないか。
時代が変われば、
昔のままの姿で生き残ることは難しい。
生き延びたければ変化するしかない

ということか。