ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

方向性の違い

方向性の違い、、、価値観の違い、、、
性格の不一致、、、
バンドの解散や離婚など、
一緒にいた人間同士がその繋がりを
解消する際に、
その原因としてよく挙がるものだ。


かく言う自分も、
かつてやっていたバンドをやめる際、
やはり方向性も価値観も全て違うと
感じたし、その違いが許せなくなった。


ただ今思い返すと、
じゃあ最初は方向性や価値観を
同じくしていたのかというと、
全くそんなことはない。
まぁとりあえず一緒にやろうかという、
かなりアバウトなそのときのバイブスで
なんとなく繋がったような気がする。


男女が好きになるとか
付き合うとかそういうときも、
方向性なんて気にしない。
価値観や性格なんかは気にするだろうけど、
恋愛のパワーとか性欲なんかで
なんとなく交際になだれ込むというのが
実際のところじゃないだろうか。


じゃあ最初は方向性とか価値観とか
そこまで気にしなかったものが、
別れの主な原因になるのは
なぜかというと、
ここからは勝手な思いつきだけれど、
方向性や価値観の違いが問題なのではなくて、
方向性や価値観の違いを問題にするように
なるのが問題なんじゃないか。


そもそも方向性や価値観が同じ人間は
いない。
うまくいっているときは
方向性とか価値観なんて気にもしない。
ただうまくいかなくなると
方向性が違うなとか価値観が合わないな
などなど無性に気になりだす。
こんなに違うということは
そもそも一緒にいるべきではないのでは
ないか。
そう断定すると辻褄が合う。


子どものころの友達なんて、
せいぜい同じ年に生まれて
たまたま近くに住んでいたとか
同じクラスになった、席が近かった、
ぐらいの条件で繋がっている。
方向性も価値観もへったくれもない。


その中で、
アイツはまぁこういう奴だみたいな
大まかな理解で相手をとらえて、
まぁそういうもんだとなんとなく納得していた。
合う合わないはあるにせよ、
価値観が違うとか、性格の不一致なんて
深刻には考えなかった。
もちろん一緒にいる意味なんて
考えたこともない。

遊んでいて楽しいかどうかが大事だ。


ただ大人になると、
理由や意味を必要とするようになる。
性欲や恋愛とか、
何かをやりたいとかいう
非合理なパワーを除いて。
物事を始めさせた非合理なエネルギーが落ち、
意味や理由を求めだすと、
違いが浮き彫りになってくる。


解像度を上げれば上げるほど
違いは鮮明になり、
その鮮明さを見るにつけ、
一緒にやっていく可能性が見出せなくなる。


それが俗に言う、
方向性、価値観、性格の違いという
致命的な破綻理由として
根拠をもつに至る。


考えたり、
物事を見る解像度を上げられる
ようになるのは、
たしかに成長や大人になることの一部だと思う。
ただそれは色んなものを規定することで、
許容範囲を狭めるという
副作用もあるように思う。


昔はどうでもよかったものを
ちゃんとわかったり
ハッキリした意味がほしくなるという欲求は
年を重ねるほど増している。


自分の頭で考えろとは
よく言うが、
考えるべきことと、
それ以上は考えないほうがよいことを
区別できるぐらいの
直感は働いてほしいなと思う。