ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

喧嘩するほど

喧嘩するほど仲がいいと言うけれど、
それはずいぶん怪しい言葉だなと思う。


喧嘩の目的がそもそも、
相手を否定して自分の正しさを
証明したい、だからだ。
相手を打ち負かしたい。
傷つけたい。

支配したい。


喧嘩という大義名分のもとでなら、
いくら相手を罵倒しようと
尊厳を傷つけようとかまわない。
そういう日常では許されないような振る舞いを
後ろめたさなしにできるのが
この喧嘩という便利なフォーマットだ。


だから喧嘩によって
言いたいことを言えばいい、
ぶつかり合えばいい、
言いたいことを言い合わないとわかり合えない、
などなど喧嘩に対してとても肯定的な
意見を耳にすることもあるけれど、
そんなことをして
本当にわかり合えるのかと僕は思う。


言いたいことを言うとか
話し合うことでわかり合うということには
賛成だけれど、
それと感情的になって相手を傷つけることは
全く違うと思う。


僕は感情的に乱暴な言葉を吐いてくる人間に
対してはまずわかり合いたいという意欲を
失うし、
意見をぶつけ合うのは良いことだという
美名の後ろから覗くのは
結局、主導権争いや正しさを競う勝負がしたいだけという卑しさを感じてしまい
完全に気持ちが萎えてしまう。
わかり合うどころか、
こいつは無理だなと心のシャッターが降りてしまう。


自分と違う意見や考え方の話を聞くのは
おもしろい。
ただそれを押しつけてきたり
マウントを取ろうとしたり、
というのには正直辟易する。


僕は喧嘩によって仲良くなるとか
信頼関係が深まったという経験がないし、
逆に深いところまで意見交換できる相手とは
あまり喧嘩のような感じにならない。


乱暴な言葉のやり取りが親密の証というのは、
よほど互いに信頼関係があり、
なおかつ心底傷つけるような一線だけは
絶対に越えないという慎み深さが
ある場合にのみ成立することだろうと
思う。


セクハラ・パワハラ・マウントなどと
いう言葉が最近は普通に使われるように
なっているのも、
いかに日常的に尊厳の一線が飛び越えられまくっているかということを表していると思う。


自分自身が人から舐めた扱いを受けて不快に思うこともあるし、
人に対して何げなく尊厳を傷つけるような言葉を吐いてしまうこともある。
思い返しても色々と反省する。


社会的弱者に配慮した法整備などが
進む一方で、
SNSやネットのコメントなどには
以前にも増して誹謗中傷や特定の個人を攻撃するような乱暴な言葉が並ぶ。


日常生活ではパワハラやマウントが
封じられているので、じゃあネットで、
ということだろうか。


人には人を傷つけたいという欲求が
あるのだと思う。
それによって自分が優位に立ち安心したいと
いう切実な欲求が。
その対象は自分より弱い者だ。


そういうことをしないために
自分を満たしておく必要がある。
攻撃性は自分に危機が訪れている際に
発動する。
スポーツで発散するならまだしも、
それを特定の個人に向けると悲劇が起こる。


話は戻って、
自分を守るために人を傷つけるというのが
喧嘩の根本なのだとしたら
そんなのはクソリプと言われるようなSNSのコメントと同じじゃないかと思う。


喧嘩ではないやり方で、
威圧やマウントではないやり方で
わかり合うために意見を交わし合うという
ごくごく当たり前のことを
実践していくしかない。