ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

からいもと盗人

わらしべ長者」の動画ができたので、
次は「からいもと盗人」に取り掛かる。

この話、

昔話の本には載っていなかったが、
坂口恭平が薦めていたので、
まんが日本昔ばなしのやつを見てみた。

今まで道徳的な美談話を避けながら話を
選んできたところがあるが、
この「からいもと盗人」はこちらが
勝手に想定するような感動話の枠を越えた
ストレートに胸を打つ話だった。


近所に腹を空かせた子どもがいたら
家に連れてきてご飯を食べさせてやっている天草の船乗りがいた。
日照りで不作が続き、いよいよ米も尽きてきた。
船乗りは仕事で薩摩に行った際に、
仕事の依頼主の家でからいも(さつまいも)を初めて食べ、
子どもたちに食べさせてやろうと天草に持ち帰ろうとするが、からいもは薩摩から持ち出してはいけない決まりになっていた。
家主に懇願するも断られ、船乗りが天草に帰る日、家主が見送りにやって来て、子どもたちへの土産の忘れ物だと言って手鞠を持ってくる。
御禁品の取締りを行う役人に、手鞠ならよいとの許可を得て、船乗りに手鞠を渡す。
身に覚えのない船乗りだったが、手鞠の隙間から芽が出ているのを見つけ、それがからいもの苗であることを知る。
家主に感謝し、天草に帰ると、船乗りは早速
からいもを育て始める。
しかし、蔓が伸び、花を咲かせはするものの、
一向に身を付けない。
あきらめかけたちょうどその頃、近所に畑荒らしが出る。
船乗りが畑荒らしを追いかけると、畑荒らしはからいもの蔓に足を取られて転ぶ。
畑荒らしを追い詰めた船乗りは、畑荒らしの足に絡みついた蔓にからいもの実が付いているのを見つけ、からいもが土の中に成るものだと知る。
それからというもの、天草では皆、からいもを育てるようになった。

というのが、
「からいもと盗人」のあらすじだ。


子どもが腹を空かせているというのは、
子どもができた今ならその切実さが
よりわかるし、
食料不足の中、自分の子どもだけでなく
近所の子どもたちにもご飯を食べさせていた
という船乗りの姿勢は素直に尊敬できる。
子どもに対する利他的な行為というだけで
今は感動してしてしまうのだけど、
それにも増して感動的なのは、
薩摩の家主がその船乗りの姿勢に
感動し、感染し、
最初は禁を破ることをためらったにも関わらず、
その後考えを変え、リスクを冒して
からいもの苗を船乗りに託したということだ。

薩摩の家主は
船乗りの子どもたちに対する行動に共感こそすれ、最初は禁を破るまでには至らなかったが、
でもやっぱりここでルールを守って天草の子どもたちを飢えさすのとか違うよな、
船乗りがやってることこそ素晴らしいことだし、
からいもさえあれば子どもたち食べ物が行き渡るようになるなら、こんなルールとか破ったってバチは当たらんだろう、
オレは船乗りを断固応援する、
と思ったかどうかはわからないが、
船乗りの姿勢に共鳴し、法を破る選択をしたことは確かだ。
船乗りの行動から家主にエネルギーが波及していき、家主にこのような行動をとらせた、
この人間のパワーに感動したのだと思う。

実話かどうかはいい。
困っている人がいたら助ける、
助けている奴がいたら、ルールを無視してでも
支持する。
実際に世の中のどこかで、
昔も今もこういうシチュエーションはあるだろう。

そのとき、
自分は助けられるのか、
助けている人間を支持することが世間のマイノリティ側だったとしても支持できるのか。


こぶとりじいさん」や「花咲じいさん」などの
正直じいさん、欲深じいさんものの話。
これは実は天使と悪魔の寓話のように、
一人の人間の中にある異なる性質についての話なんじゃないかと思っている。

正直と欲深は、同じ「じいさん」で比較される。
別にじいさんと若者でもいいし、
子どもと大人でもいい。
わざわざ同じ属性である「じいさん」同士で括るのは、同一の人間から生まれる多様な感情とその行動についての話だからなんじゃないだろうか。

欲深じいさんが負うのは、
人間の弱さという面だ。

「からいもと盗人」の船乗りと家主は、
とくに家主のほうは、弱さを越え、危険を承知で利他的な行動に出る。
つまり強さ側に振れた。
でも人間はどちらにも振れる振り幅を持っている。

それが、船乗りという存在によって、
家主を利他側に振りきらせた。
いい人、悪い人という区別ではなく、
いろんな葛藤や弱さもある人を善行に
振りきらせたのは、
家主の勇気や覚悟ももちろんあるが、
船乗りからの感染と共鳴があったからだ。

一人の人間をどのような方向に導くかは、
本人の意思もあるが、
何にどのように突き動かされるのかに
尽きると思う。

突き動かされた結果、
自分の中から湧き起こるエネルギーは、
もう止められない。

人から人へとエネルギーが波及した、
その感動的な顛末があまりにも希望に満ちていたので、これほど心動かされたのかもしれない。


世界も社会も人生も、
わりと険しいものだけど、
そこに一筋でも希望があれば、
なんとかやっていける。
そんなふうに思わせてくれた。