ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

昔話という原野

昔話の本を読んでいていいのは、
何より話が短い。
すぐ読める。

柳田國男の「日本の昔話」には
1ページ未満の話がざらにある。
長くて3〜4ページだ。

なんでこんなに短いかというと、
あらすじしかないからだ。
登場人物の内面の描写とか、
行動の理由や背景とか、
そんなものは書いていない。
ただただ話が進む。

身も蓋もないぐらいに
物事が淡々と進み、過ぎていく。
初めて読んだときは、
それがとても新鮮だった。
気持ちがよかった。

簡潔で、枝葉がない。

だからこそ、
書いていないことはすべて想像しなければ
ならない。
こちらが創造しなければならない。

頭の中で創作が行われる。
そこがいいんだろうなと思う。

しかもその話がなんのために作られたのか、
聞いた者にどう思ってほしくて作ったのか、
全くわからないようなものが多い。
一見、教訓譚に見える話でも、
どこか不気味な、得体の知れない印象を残す。
今でいうところの正しいメッセージ性みたいなものを押しつけてくるようなところがあまりない。

どう思えばいいのか、
わからない。

これがおもしろかった。

この投げっぱなしな感じがいい。
でもその投げっぱなしな感じは、
明らかにこの世界と地続きな、
ともするとこの世界そのものなんじゃないかと
思えるような投げっぱなし感なのだ。

そう思うと、
今作られる物語は、説明過多なのか。
状況説明や人物の背景とか、
とにかくわかりやすく描かれる。
見ていてわからないところがないぐらい、
その場面で起こった出来事が
なぜ起こったのか、ほとんどわかる。
そう作られている。

でも現実はそうじゃない。
人の内面の心の声とか、
行動や行為の動機とか、
一般の生活ではわざわざ説明されないし、
伏線も回収されない。

簡潔であること、
簡潔すぎることで、
昔話は完全な作り話でありながら、
どこか世界の深遠を覗き見てしまったような
そういうものになっているように思う。

この簡潔さは、
それを狙ってのことというよりは、
昔話が書物ではなく、
口伝えで伝わってきたものだから
というのが大きいだろう。

書物なら詳細にディテールまで
書き記すことができる。
でも口伝えだとそうはいかない。

長かったり、細かかったり、
複雑すぎると覚えられないし、
聞いていても内容が入ってこない。
子どもが対象の場合はなおさらだ。

そして子どものときに聞いた話を
数十年経て、大人になってから
子や孫などに伝えるとなると、
そりゃ大まかなあらすじしか覚えていないだろう。
昔話を伝えるのは庶民だ。
語り部を仕事にしているプロではない。
覚えようと思って暗記したわけではなく、
昔おじいちゃんやおばあちゃんにこんな話を
してもらったなぁというのを思い出しながら話すわけだ。

簡潔にならざるを得ない。


忘れないようにノートに書いて残しておく
ということも当時はできなかった。
それは庶民の識字率が低く、
文字の読み書きができる人がほとんど
いなかったからだ。

文字の読み書きができるのは、
貴族とか位の高い人ぐらいで、
義務教育もない昔は、
庶民には文字は縁遠いものだった。
(江戸時代後期は寺子屋ができ、都市部の江戸では識字率が高かったらしいが、昔話がたくさん伝わったのは田舎が多く、そのころでもまだまだ文字の読めない庶民は多かったと思われる)

この口伝えというスタイル、
しかも誰が作ったのかわからないことや、
オリジナルがない、もしくはわからないというのが、
昔話ぎ他の物語を扱う芸能や文化とは
全く違うところだ。

だから他の物語を扱う芸能や文化に
慣れ親しんだ目から見ると、
新鮮なのだ。

ただ、僕は本で書き記されたものを
読んだだけで、
昔の原初的な、
親から子へ、祖父母から孫へ、
といったふうに伝えられていく昔話を
経験したわけではないし、
それを味わうことはもうできない。

本を読んで知る昔話は、
当時の人たちが体験した昔話とは
似て非なるものだ。

昔話はあらすじという型と、
語り手と聞き手のコミュニケーション
という二つの要素が、
その時間、その場所という
瞬間にのみ成立していたものだったんだろうと思う。

今は型だけが残り、
別の物としてかろうじて
残っているものもある。

教育用の絵本として、
auのCMとして、
桃太郎電鉄として、
あらゆる形を借りながら、
たくましく生きながらえている。

昔話は型だ。
型が強いからこそ、
作り替えられたり、
パロディにされながらでも
残っている。

原型からどれだけ逸脱しようとも、
それでも残る。
残ってきた。


この先どこまで残るのかは知らないが、
少なくとも僕の寿命よりは残るだろう。


この型で遊べるだけ遊ぶ。
とてもいいオモチャを手に入れたような
感じだ。


昔話はもう第8シーズンぐらいまで
来ているんだろうと思う(適当)。
原型はだいぶ崩れているんだろうけど、
それでもなお現代まで持ちこたえてきた
型がある。


昔話は史実などではなく思いっきり作り話だが、
そこには世界の普遍的な何かが
あるような気がしてならない。


自分の手に負える代物ではないのかも
しれないが、
その価値にほとんど誰も気づいてはいないので、
注目こそされないが、
咎められることもないだろう。


それをいいことに
この昔話という耕作放棄地のような原野で、
好きにやらせていただく。