ジョニイの無目的室

目的なく、ただつらつらと。

自意識は強いが、自我は弱い

最近気づいたこと。 自分は自意識は強いが、自我は弱い。 自意識は人からどう見られるか気にする意識。自我は自分がどうあるかを気にする意識。と自分的に定義できる。 自分は昔から人にどう見られるか、どのように見られたらいい感じで対人関係や社会の中で…

どうしようもなさを生き延びる2

わからないことはわかりたい。そう思うのが人情だ。 わからないと不安だし、なんだか怖い。どうなるかわからない、見通しが立たない、想定できない。これらに人間は耐えられない。そこで人間は理性を発達させ、あらゆるものを理解し、コントロールできるよう…

どうしようもなさを生き延びる

わかっちゃいるけど やめられない。 植木等のスーダラ節の一節、この一言を自分が思いつきたかったと思うくらい、自分自身の問題や、自分と他者との折り合いのつかなさ、社会とのうまくいかなさ、ひいてはこの世界全体などという大きなものについての、何か…

わかっちゃいるけど やめられない

養老孟司の議論で、人間は自分自身をとてもひいきしている、というのがある。 唾は自分の口の中にあるときは汚いと思わないけれど、ひとたび口の外に吐き出すと汚いものだと認識する。口の中だろうと外だろうと、同じ唾だ。でも一度吐き出した唾をまた口の中…

齢四十を前に

あと半年ほどで齢四十を迎える。なので、この30代を少しだけ振り返る。 30代、私生活でいうと、結婚、父の闘病、父の死、そして息子の誕生など、目まぐるしく色んなことがあった。目まぐるしすぎてこの10年で、まるで別人並みに生活が変わった。 また、自分…

理性と妖怪のあいだ

小松和彦の妖怪本にハマっている。 前回の続きになるが、自分が小松の妖怪論に惹かれたところは、まだまだある。 妖怪は、人の心が作り出したものであるということだ。 人間の恐怖心や不安・弱さ、そういったネガティブな心を妖怪に象徴させ、折り合いをつけ…

小松和彦の妖怪研究

民俗学者の小松和彦による妖怪本にハマっている。 最近よく、猪名川町の図書館に息子のちゃまちゃまの絵本を借りに行くのだが、そこに猪名川町在住の高名な作家であるという小松和彦コーナーがあり、見ると妖怪の類の本ばかりで、最初は素通りして昔話のコー…

考える・感じる・思う

自分は暇さえあれば本を読む。ラジオやポッドキャスト、YouTubeなどで、人が何かについて考えたことを話している音源を聞く。 自分にはまだまだ知らないことがたくさんあり、自分一人では到底辿り着けないような何かがあると思うからだ。 読み、聞いたものか…

物語はわからない

物語によって、自分の知らないことを知りたい、わかりたいという欲求がある一方で、自分はずっと、よくわからない物語にも心惹かれてきた。 子どもの頃は、世にも奇妙な物語が好きだったし、星新一のショートショートも好きだったし、シュールと言われる笑い…

物語覚書

覚書として、物語について考えたことを羅列する。 物語の効用として、物語は、自分が経験できないようなことを疑似体験できること。自分とは全く関係ないと思っていた遠く離れた人や場所や物に自分と同じようなものを見い出し、共感できるということがあると…

スクラップ・アンド・ビルド

前のブログで、物語は自分にとって、外部との渡り廊下だと書いた。 自分という枠の中で日々を生きる自分にとって、一時的に自分を離れ、外を知る、世界を知る、他者を知る機会、狭い自分の中に外から風が吹くようなそんな効用が物語にはあるんじゃないか。だ…

外部との渡り廊下

自分には表現・創作への欲求がずっとある。それはとくにフィクションに向けられる。何かお話がつくりたい。そういうものにエネルギーを注ぎたいという自分がいる。 それは一体何なんだろうか。あらためて考えてみる。 なぜそこまでフィクションに引き寄せら…

暗くなるのをやめろ

「そうやって上手くいかなかったときに、暗くなるのをやめろ!」 という言葉を聞いた。上司が部下に向かって投げかけた言葉だ。部下はさらに萎縮し、余計に暗くなっていた。 若い部下は正論をもってアドバイス、というか説教を受けており、言われていたこと…

エネルギーの源泉

前にブログで、自分にとって表現とは自己解放だと書いた。たしかにそうだと今も思う。でも、それだけでは不十分だなとあらためて思った。 というのも、抑圧された自分を解放したいというのはたしかに切実な欲求で、それは自分にとって至極大事なことだ。 で…

いかんせん

いかんせん昔話を始めとする、神話・古典文化の研究本を読みすぎた。 その結果として、昔話を学術的な視点でのみ捉えるようになってしまっていたところが否めない。 初心を思えば、そもそも自分は自己解放としての表現や創作というものがベースにあり、その…

ブログの効用

ブログを書くようになって、自分の思ったことや考えたことを習慣化する機会ができた。 それによって、自分の中で漠然としていたものを言語化して整理することで、自分自身のことがよりクリアに認識できるようになった。また、言語化することで人に言葉でそれ…

何もない

ある男がさまざまな場所を通ってたどり着いたところには結局何もなかった。 というイメージをなんとなく夢想していた。こんなことを夢想する自分の深層心理の分析はひとまず横において、それをいざ具体的に映像化しようとすると、とても難しいことに気づいた…

車窓

夕方、仕事で車を走らせていると、正面に見える山の上、ちょうど山と雲の合間が朱くなっていた。 画用紙に色鉛筆でやわらかく塗ったようなそんな朱色だった。 なかなかこんなきれいな夕暮れは見れないなぁと思いながら車を走らせていると、道路沿いの歩道で…

オミクロンと昔話

オミクロンというかわいらしい名前とは裏腹に、その感染力やワクチンの効果は今もってよくわからないという不気味な変異株がまた出てきた。 こうやって新型コロナは、変異によってマイナーチェンジくり返しながら、この地球上をこれから長きに渡って生き延び…

方向性の違い

方向性の違い、、、価値観の違い、、、性格の不一致、、、バンドの解散や離婚など、一緒にいた人間同士がその繋がりを解消する際に、その原因としてよく挙がるものだ。 かく言う自分も、かつてやっていたバンドをやめる際、やはり方向性も価値観も全て違うと…

立場の表明

前回のブログで自分の立場を表明して、それをその都度、実際に合わせて更新していくのがよいのでないかということを書いた。 それを受けて、いま一度、自分の立場を明らかにしてみる。 今回は自分の表現・創作についての立場だ。 いま自分は昔話を題材にした…

自分の立場を明らかにし、その都度更新

この前のブログで、自分の立場を一つに限定しないことでバランスを取るのが自分にとっては今のところいちばんよいのではないかということを書いた。 それは自分の中で振り子のように揺れ動く異なる考えや感情をいずれも自分のものであり同時に存在してよいと…

一つにしない

何事も本筋は一つでないといけない、一つに絞りたいという強迫観念というか、欲求のようなものがある。 一方で実際は、思いや感情など一様ではなく、無理矢理一つに集約してみても、なんとなく違和感が残る。ということがある。 自分のことで言うと、昔話の…

元気と人懐っこさ

TBSラジオの「たまむすび」の町山智浩の映画紹介のコーナーをよく聴いている。その中で原一男監督の新作、「水俣曼荼羅」が紹介されていた。 水俣病をテーマに、制作期間20年、上映時間6時間越えの大作となると、これはかなりヘビーな社会派映画だと身構えて…

キャラ

キャラを演じるという言い方がある。ありのまま、本音で生きることが一般的には良しとされているように思うけれど、僕は基本的に対人関係の中で素直に本心だけを述べるということはない。相手や場に合わせながらその都度自分を変えていく。 おそらく幼いころ…

暴力性の発露

この前のブログで喧嘩の話題に関連して、人は人を傷つけたいという欲望があるということを書いた。 それで思いだしたのが、「ディストラクション・ベイビーズ」という映画だ。監督は「宮本から君へ」の真理子哲也、主演は柳楽優弥だ。 「宮本から君へ」も人…

喧嘩するほど

喧嘩するほど仲がいいと言うけれど、それはずいぶん怪しい言葉だなと思う。 喧嘩の目的がそもそも、相手を否定して自分の正しさを証明したい、だからだ。相手を打ち負かしたい。傷つけたい。 支配したい。 喧嘩という大義名分のもとでなら、いくら相手を罵倒…

昔話と今

マックス・リュティの「ヨーロッパの昔話 その形と本質」を読み進めているけれど、無類に面白い。よくここまで昔話の特徴を読み取って体系化できるものだなぁと本当に感心するし、すごい考察だと思う。 ただ一方で、その体系に当てはまらないものはそれが昔…

抽象性と具体性

昨日のブログに書いた昔話の「抽象性」についてもう少し考え直してみる。 口承昔話は現在ではほとんど途絶えており、自分が紙芝居と称して作る昔話動画は絵や編集を介したもので口承とは全く違った表現形態であるため、口承昔話が持っている特徴をそのまま受…

昔話 その形と本質

マックス・リュティという昔話研究者の「ヨーロッパの昔話 その形と本質」という本を読んでいる。 ヨーロッパの昔話を題材にしているけれど、日本の昔話とも共通する部分が多く、昔話全般についてあてはまる話なんじゃないかと感じながら読んでいる。 昔話の…